トップページ > たんぽぽの歩み
1901年、小百合葉子は、静岡県の浜松市滝沢町(たきさわちょう)で生まれました。そのころは、山下みえという名前でした。
小学校を卒業すると、みえは西遠女子学園に入りました。ある日、先生に連れられて、みんなで日本ではじめての子どもの見る劇、おとぎげきを見に行きました。それは『桃太郎』のげきで、わかりやすくておもしろいお芝居に、みえは夢中になりました。
子ども達といつもいっしょにいる小学校の先生になりたいと思ったみえは、いっしょうけんめい勉強して試験を受けました。試験はよくできたはずなのに、合格の知らせが来ません。みえのお父さんとお母さんが結婚の届けを役所に出していなかったからなのでした。みえのお父さんは長男で、お母さんは長女で、2人とも古い家のあととりだったので、その頃の法律では、届けを出せなかったのです。
みえは、がっかりしてごはんものどを通らなくなりました。とうとう病気になって入院し、病院の窓からぼんやり外をながめてばかりいました。ある日、病院の庭の通り道に、たんぽぽの花が咲いているのをみつけました。たんぽぽの花は、いそがしい病院の人達が知らずに踏みつけたりしているのに、次の日の朝には、もう、しゃんとして元気に咲いていました。そんな強くてたくましい たんぽぽの花を見て、先生にはなれなかったけど、自分には他にも好きなことがあった、子どもの見る劇(げき)をやる俳優(はい ゆう)に なろうと思いました。みえは、ぐんぐん元気になりました。
そして、東京に行き、働きながらお芝居の勉強をしました。坪内逍遥という劇と文学の先生に弟子入りし、お芝居の仕事をする時には小百合葉子という名前を名乗ることになりました。
小百合葉子は若い俳優でしたが、おばあさんの役をたくさんやって活躍しました。舞台の他に映画やラジオのも出て、自分の劇団もつくりました。
ところが、戦争が始まって、東京には食べ物がなくなり、いつ爆弾が落ちてくるかわからないので長野県へ引っ越しました。そこで学校や工場で人形劇をやったり教えたりしました。
戦争が終わり、大きな町は焼け野原になり、食べ物もなく、やせた子どもたちが日本中におおぜいいました。子どもたちの元気な笑顔が見たいと思った小百合葉子は、劇団を子どものための劇団に変えて、「劇団たんぽぽ」と名付けました。
はじめての公演は『そら豆の煮えるまで』という劇でした。子ども達は夢中になって、お芝居の世界にひたりきっていました。
それから葉子達は、リュックサックに衣装(いしょう)や道具をつめて、かついで歩き、子ども達の所へ行って劇を見せました。
その後、たんぽぽは長野県から小百合葉子のふるさと、静岡県浜松市に移りました。旅も歩きからオ−ト3輪に変わりました。
劇を始める前に、小百合葉子は子どもたちに話しました。
「ふまれても雨にたたかれても、土にしっかり根をはり、きれいな花を咲かせるたんぽぽが大好きです。」
それからさらに、トラック・マイクロバスでの旅に変わり、北海道から沖縄まで、日本全国の子ども達に劇を見てもらえるようになりました。
そして、1986年、小百合葉子は84歳でこの世を去りました。「子どもたちに夢を」をつらぬいた生涯(しょうがい)でした。
1960年 | 静岡県教育功労賞 |
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1968年 | 藍授褒賞 明治100年女優祭で表彰 浜松ユネスコ協会賞 |
1969年 | 吉川英治賞 静岡県積善会頌状 |
1980年 | 沖縄県知事感謝状 久留島武彦文化賞 |
1982年 | 中日社会功労賞 勲四等瑞宝章 |
1984年 | 千嘉代子賞(国際ソロプチミスト浜松支部) |
1985年 | 第1回・O夫人児童演劇賞 |
1945年 |
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1946年 |
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2006年 |
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2009年 | ・『長い長い郵便屋さんの話』で平成21年度静岡県芸術振興プラン事業『親子で「みる」、「つくる」、「ささえる」劇団たんぽぽ公演、平成 21年度文化庁芸術創造活動特別推進事業を行う。 |
2010年 | ・上保正道が「全国児童・青少年演劇賞」を受賞。 ・文化庁「子どものための優れた舞台芸術体験事業―巡回公演―」に採択され『100万回生きたねこ』公演を行う。 |
2012年 | ・法人制度改革に伴い公益目的事業・演劇公演事業として公益認定が受理され公益社団法人教育演劇研究協会として新たな一歩を踏 み出す。 ・文化庁「次代を担う子どもの文化芸術体験事業―巡回公演―」に採択され『100万回生きたねこ』公演を行う。 |
2013年 | ・文化庁「次代を担う子どもの文化芸術体験事業―巡回公演―」に採択され『100万回生きたねこ』公演を行う。 ・「平成25年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され『うそつき大ちゃん』公演を行う。 ・「平成25年度文化芸術振興費補助金トップレベルの舞台芸術創造事業」に採択され、『めざせ!秘密のコッパ島』公演を行う。 ・通算公演回数41,600回 |
2014年 | ・日本在宅医学会に委託され、在宅介護をテーマにした演劇『記念写真-ゆずり葉の季節』を制作し、日本在宅医学会大会(第16回)浜 松大会で公演を行う。 ・「平成26年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され『めざせ!秘密のコッパ島』公演を行う。 ・「平成26年度文化芸術振興費補助金トップレベルの舞台芸術創造事業」に採択され、『かさねちゃんにきいてみな』公演を行う。 |
2015年 | ・「平成27年度文化芸術振興費補助金トップレベルの舞台芸術創造事業」に採択され、『グリックの冒険』公演を行う。 ・「平成27年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され『かさねちゃんにきいてみな』公演を行う。 ・みんなのはままつ創造プロジェクト 子どもたちの想像力・創造力・表現力育成事業 庄内学園「学園で踊ろう」でダンスの指導等を行う。 |
2016年 | ・「平成28年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され劇団創立70周年『いのちのまつり』公演を行う。 ・『いのちのまつり』が厚生省社会保障審議会推薦児童福祉文化財の決定を受ける。 ・「平成28年度文化芸術振興費補助金トップレベルの舞台芸術創造事業」に採択され、『ゆずり葉の季節』公演を行う。 |
2017年 | ・「平成29年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され『ゆずり葉の季節』公演を行う。 ・「平成29年度文化芸術振興費補助金トップレベルの舞台芸術創造事業」に採択され、『ウニマルじゃ!!』公演を行う。 ・「平成29年度文化芸術による子供の育成事業』に採択され、『グリックの冒険』公演を行う。 |
2018年 | ・「平成30年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され『ゆずり葉の季節』公演を行う。 ・「平成30年度文化芸術による子供の育成事業』に採択され、『グリックの冒険』公演を行う。 |
2019年 | ・公益社団法人教育演劇研究協会常務理事で劇団員(前劇団代表)の上保正道が平成30年度文化庁長官表彰に選ばれる。 ・「平成31年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され『ゆずり葉の季節』公演を行う。 ・「平成31年度文化芸術による子供の育成事業』に採択され、『いのちのまつり』公演を行う。 ・浜松市環境部環境政策課主催の「はままつEスイッチフェスみんなで減らそう海洋プラスチックごみ!『とんちゃんの冒険?!』」を制作、上演。 |
2020年 | ・「令和2年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業」に採択され『ウニマルじゃ!!』公演を行う。 ・「令和2年度文化芸術による子供の育成事業』に採択され、『いのちのまつり』公演を行う。 ・浜松市より「令和2年度海洋プラスチックごみ問題啓発劇上演」を委託され『海のこえがきこえる〜サイレントボイス』」を浜松市内の小学校で上演。 |
2021年 | ・「令和3年度文化芸術による子供育成総合事業』に採択され、『いのちのまつり』、『おはなしレストラン』公演を行う。 ・浜松市より「令和3年度海洋プラスチックごみ問題啓発劇上演」を委託され『海のこえがきこえる〜サイレントボイス』」を浜松市内の小学校で上演。 ・文化庁 ARTS for the future!(コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業)に採択され、『ルドルフとイッパイアッテナ』を制作・上演する。 |
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